人力発動機 雑文日記

70年代、80年代のロック、映画等、サブカルチャーなどを図らずもボロクソに書いてしまう妄想的感想文日記。貼り付けている写真類は、当面の間無断使用です。なお本文は、頻繁に書き直すのでご了承ください

マンガなら普通のこと 活字ではちょっとね



矢作俊彦・著 『引撃』(エンジン) 新潮社

引撃と書いて、エンジンと読ませる。中国ではエンジンのことを、漢字でこう書くのだそうだが、発音はわからない。この本は、しばらく前に読んだのだが、あまり感想を書く気にはならなかった。今日は暇つぶしで、ちょっとだけ書いてみる。といっても、たいして中身はない。

主人公は警視庁の刑事で、張り込み中、同僚を殺される。事件からは外され休職身分となるが、単独で捜査を進める。その過程で、中国人らしい美人スナイパーみたいな、女と絡んで、色々とある。この女は、その昔の007だったら、グレイス・ジョーンズみたいだし、ターミネーター3の女ターミネーターみたいでもある。極端な設定だけでキャラクターと呼べるほどの人間味はない。

それは主人公も同じで、特に特徴がなく、読んでいてもイメージしづらい。そんな冴えない主人公だが、女にもてるし、別れた妻は社会的に成功しているし、いざとなったら主人公を助けてくれる。格別な魅力も能力もなさそうな主人公なのに、危機に陥ってもなんなく切り抜けるし、肉体的にも超人的な活躍をして、ストーリーの終盤まで、突っ走る。

ほとんどアメリカ製のノンストップ・アクション・ムーヴィーみたいだ。小説として、つまり文字で表現する価値というか意味があるのか、かなり疑問に思える小説だった。何で今更こんな作風になるのか、不思議だった。

やってみたかったのだろうか。もし小説でなくて、映画だったら、退屈しないで見られたかも知れない、と思った。ビジュアルがあれば、主人公に内面や人間的な魅力がなくても、ルックスという具体的なミテクレがあるから、十分持たせることができる。小説じゃなくて、シナリオだと思うと、なんだか豊かな可能性が広がっていくような気がしてくる。





矢作俊彦・司城志朗 著 『犬なら普通のこと』 早川文庫

二、三年前に単行本で出たのだが、今回、文庫になったので読んでみた。

矢作俊彦と司城志朗のコンビは、もう二、三十年前に、角川ノベルスで『暗闇にノーサイド』『ブロードウェイの自転車』『海からきたサムライ』の三作品があった。題名はすらすら出てくるのだが、中身は何も記憶にない。なんとなく、ジャンルとしては冒険小説だった気がするが、憶えてないのだから、大して面白くなかったのだろう。

最近になって、このコンビが復活して、本書の『犬なら普通のこと』以降、『百発百中』『ARAKURE』と、既に三つを合作している。

でも本書は、冒険小説ではなく、チンピラが主人公の、ノアールのようなジャンルの小説だった。基本はドタバタアクションだ。もしかしたら、コメディなのかもしれない。

しかし、この小説の世界を活字で味わうには、ちょっと辛い、と感じた。描写、書き込みが浅いのだ。テキトー過ぎると言おうか。思い切り上から目線で書くと、まだまだ習作の段階で、人様にお見せするレベルには達していない、という感じだ。推敲を重ねて、人物も造形深く、ストーリーにもメリハリをつけて、もっと磨き上げるべきだった。まるで急造の、プレハブのような印象が否めない作品だった。

このままの、粗さを生かすには、活字ではなく、多分、マンガあたりが、一番、表現方法として適切なのではないか、と思う。実写映画だとヤスっぽくなって哀しくなるから、マンガが一番、フィットする。ご都合主義の展開も、まさかという展開も、奇想天外風な登場人物も、マンガなら、このドタバタな世界が、コメディのままリアルになる。マンガなら普通のことが、実写や活字だと、まるでちぐはぐになるように、その逆もあるのだ。

活字の小説としては、叙述の視点が変化しすぎで、落ち着きがない。読者は誰に感情移入していいかわからなくなるだろう。小説を読み進む上で、前衛作品でもないのだから、これは大きな障害だ。

さて、肝心の物語だ。舞台は沖縄だ。うだつの上がらないヤクザが、一発あてようと、自分の組の金を強奪する計画を立てるのだが、予期しない出来事が重なって、計画が二転三転する。一級のエンタティメントなら、この二転三転が、手に汗握る展開となって、読者をぐいぐいと引っ張っていくのだろうが、本書の場合、緊張感のない、ただのドタバタにしかならない。

ドタバタ感覚がこの小説の持ち味だとすると、このドタバタ感を表現するには、しつこいようだけど、活字は向かないと思う。まして主人公はハーフという設定なのだが、最初に説明されるだけで、あとはハーフとして、何も機能しない。ハーフである意味は、物語の展開上、どこにもない。

これが、マンガや実写なら、ヴィジュアルが常にハーフを主張してくれるから、説明抜きでそのまま突っ走れる。画面効果は、表情や立ち居振る舞いとして、そのまんま現れる筈だ。マンガでは、それが普通のことなのだ。

漫画家は、すぎむらしんいち、あたりが一番適していると思う。すぎむらしんちの絵柄をイメージして、この小説を読むと、実に生き生きした世界が、展開してくる。活字よりもずっといい!





【2012/02/12 09:19】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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馬鹿な上司はどこにでもいるが、上司を選ぶことはなかなかできない



木村元彦・著 『争うは本意ならねど』集英社 1500円+税

サブタイトルは、「ドーピング冤罪をはらした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール」

どんなところにも、馬鹿な上司は存在する。そういう上司は人間が軽薄だから、勇み足のような初歩的な間違いを簡単に犯す。しかし、そういう上司は、見栄っ張りだから、人前で自分の間違いを素直に認めることは、どんなことをしてでも、避けたがる。

部下を言いくるめて、やり過ごそうとするのだが、間違いは明かな間違いだから、そのうちにどんどん齟齬が出てくる。その齟齬に対して、また嘘の上塗りをして、自分の間違いが間違いで無かったことのように取り繕って、挙げ句、立場の弱い部下に、責任を転嫁して、僕じゃないよ、君たちがおかしいんだよ、と上司の権力をかさにきて、のうのうと開き直るのだ。

そういう上司は、いざというときは、驚くくらい姑息で執念深い力を発揮して、無実の罪を着せられた部下を、泣き寝入りするしかないところまで追い込む。上司としては無能なくせに、保身に関しては、想像以上の力を発揮するのだ。しかも、そういう上司は、似た者どうしで結託したりする。その結果、責任転嫁された部下は、本当ににっちもさっちもいかなくなる。

『戦うは本意ならねど』は、不運なことに、クズな上司の被害に遭った一人のサッカー選手が、選手生命のピークを棒にふりながらも、Jリーグを相手に戦って、名誉を回復させたノンフィクションだ。2007年のことだ。

被害に遭った選手は、当時、川崎フロンターレに所属し、オシムジャパンにも選出されていた我那覇和樹。



馬鹿な上司で、間違いを起こした張本人が、青木治人(当時:Jリーグドーピングコントロール委員会長、聖マリアンナ医科大学長。事件直後に日本サッカー協会スポーツ医学委員会長に昇格。現:横浜市スポーツ医科学センター長)。


結託して、事実関係を調査するどころか、選手とチームドクターに責任を転嫁して、保身に走ったのが、川淵三郎(Jリーグ初代チェアマンを経て、当時は、日本サッカー協会会長。現在は日本サッカー協会名誉会長。自称「キャプテン」)。


結託したもう1人が、鬼武健二(当時:Jリーグチェアマン。現:大阪府サッカー協会会長)。


青木の犯した初歩的な間違いが、川崎フロンターレのチームドクターが、風邪で脱水症状を起こしていた我那覇選手に、200CCの点滴処置を行ったことを、伝聞情報を元に「ニンニク注射でパワー全開」との見出しで記事にしたスポーツ新聞を鵜呑みにして、禁止薬物の静脈注射をしたと断定したことだ。その結果、Jリーグドーピングコントロール委員会長の権限で、我那覇選手にドーピング判定を下し、6試合の出場停止、所属チームの川崎フロンターレに1000万円の制裁金を課した。

川淵三郎は、事実確認もしないまま、マスコミ相手にいつものように口を滑らして、ドーピングをした我那覇はけしからんと、言い切り、事実関係が明らかになった後も、ぽん友の青木を擁護し続け、日本サッカー協会スポーツ医学委員会長に昇格させている。その後も、一言も謝罪をしていない。

鬼武も、ひたすらけしからん、我那覇はいけない的な発言を繰り返し、有りもしないニンニク注射をしたといいつのり、事実を明らかにする努力を怠った。

この三人の権力者が、権力を行使して、自分たちの保身に走ったために、Jリーガーは、どのような緊急事態でも、医療的な処置の一環で静脈注射をしなければならないときは、「ドーピング委員会に事前に申請して、許可を得なくてはならない」という、非現実的な状況に置かれた。実際に治療が必要な時にも、ドーピング判定を受ける可能性が高かったので、治療が遅れたというケースが何件もあった。(ドーピング判定を二回受けると、選手もドクターも、永久追放になる)。

また、日本サッカー協会関連(下部組織は小学生まで含む)の公式試合に出場する選手は、医療的な処置の一環で静脈注射をしなければならないときは、「ドーピング委員会に事前に申請して、許可を得なくてはならない」という法規が、我那覇事件以降、青木が日本サッカー協会スポーツ医学委員会長の要職に就いていた間、法文化されてまかり通されていた。

J1、J2のすべてのチームドクターが結束して、この理不尽な状況を政情に戻すべく、青木の退陣、我那覇への処分の撤回・名誉の回復を求めて、Jリーグを相手に立ち上がったが、川淵の無理解と、青木、鬼武の姑息な対応と、権力者が不可侵な構造になっているJリーグの規約の前に、無力化されていく。

最終的に我那覇自身が、国際スポーツ仲裁裁判所(CAS)に自腹をきって提訴し(裁判費用は、医療翻訳なども含めて、4000万円前後かかった)、勝利を勝ち取った。裁定は、ドーピングは白。Jリーグが我那覇に下した判定は無効。本裁判の費用は、Jリーグが払うこと。という、当然のことながら、我那覇の全面勝利となった。

その結果、Jリーグでは、チームドクター達が、ドーピングにされることなく、現場の判断で、正統な治療を行う、という当たり前のことが、当たり前の状態に戻った。

著者は、この経緯を淡々と綴っている。我那覇選手は、やむにやまれずCASに提訴したものの、タイトルにあるように、誰かと争うことを好まず、誰か個人を恨んでもいない。つくづく頭が下がる。本書を読んでいて、馬鹿馬鹿しさに腹が立って仕方がなかった。青木治人が、すぐに間違いを認めれば、こんなおおごとにはならなかったのだし、そこの段階で止めることが誰も出来なかった、という、Jリーグという大きな組織の無駄さに、つくづく呆れた。あるいは川淵が、一言、青木に間違っていると言えば、それで済んだのだ。それが出来る立場にして、その力も川淵には確かにあった。しかし、川淵は、青木と共に、見栄の上塗りをする方を選んだのだ。なんとも情けない。フェアプレイどころか、判断ミスを認めず、ルールの勝手な解釈、ルールの一方的な改悪をもって対処した日本サッカー協会、Jリーグには呆れてものも言えない。

こんな馬鹿な上司は、どこにでもいるけれど、たいていの場合、上司を選ぶことはできない。こんな上司にパワハラをされ、しかもそれが会社の総意だなどと押しつけられたら、平なんかひとたまりもない。どうやったら被害に遭わないで済むのか、その方法が思いつかない…。


我那覇は、冤罪騒動以降、フロンターレでのスタメンの座を失い、またオシムが病気で倒れたことによって、代表にも呼ばれなくなり、選手として、ピークの時期を棒に振った。現在はJFLのFC琉球に所属している。
我那覇選手の公式ブログ。
http://gree.jp/ganaha_kazuki/blog/entry/616231249

青木治人は現在、横浜市スポーツ医科学センター長というのをやっている。
http://www.yspc.or.jp/ysmc/about.htm

当時、Jリーグの理事で、ただ一人、我那覇擁護の発言をしていた三ツ谷洋子氏のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/sports328/e/88772dd2e32301f1293a0706f9564bdb

【2012/02/05 11:40】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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現代アメリカの流行作家の秀作



マイクル・コナリー著 『真鍮の評決』 講談社文庫

上下巻で合わせて750頁くらい。翻訳者はコナリー専門の趣のある古沢嘉道。 安定した訳文で、読んでいてストレスは全くない。講談社と光文社()だと、こうも違うのか、と思ってみたり。

コナリーはLAを舞台にしたミステリーを書いている作家だが、メインというか一番有名で作品数も多いのが、刑事ハリー・ボッシュのシリーズだ。その他に、新聞記者ジャク・マカヴォイを主人公にしたシリーズと、元FBI捜査官のテリー・マッケイレブのシリーズなどがある。それらは同時代のLAを舞台にしているので、他の作品でちょこちょこ顔を出したりする。いわゆる手塚治虫のスターシステムだ。

最近、新しいシリーズとして、事務所を持たず、移動する自動車の中を仕事場にしているリンカーン弁護士、マイクル・ハラーが加わった。本書はその、リンカーン弁護士シリーズの二作目だ。

読み応え充分のミステリーで、ちゃんとどんでん返しもあり、最後まで飽きさせないし、主要登場人物達が抱えている家族の問題にも踏み込んで、考えさせたりしんみりさせたりさせるところは、あざといくらいに上手だ。本書の内容に関しては、他の人が色々と書いているだろうから、今回は別のことを書く。


ミステリー小説というのは、必ず犯罪が起きる。しかし、普通に考えて、割に合う犯罪ってものは、この世に存在しないのではないか、と思う。せいぜい、天下りなんかのせこい犯罪くらいしか、割に合うものはないのじゃないか、と、元も子もないことを思う。要するに、ミステリー小説というのは、割の合わないことをする人たちがいなくては成立しないのだ。

質の高いミステリーほど、最後に見事などんでん返しなんかがある。ええ、この人が、!? そうだったのか!?見たいな展開になる。でも、どんでん返しが見事なほど、ちょっと冷静になって考えれると、そんな人が犯罪を犯す必然性が薄かったり、かなり無理な動機だったりする。犯罪を犯してくれれば、ドラマチックだけど、その意外な登場人物の一貫性を考えた場合、犯罪を犯す必要は全く無かったりする。見事さに反比例して、必然性は薄れていくのだ。

では、それに見合った動機や心理を書き込めばいいのだろうが、そんなものを連綿と書き込めば、それ自体が種明かしになり、どんでん返しの意外性はなくなってしまう。このパラドックスを越えたミステリーを読んでみたいな、と無理なことを私は思ってしまうのだ。



※以下、ネタバレ必至の蛇足

それにしても、マイクル・ハラーとハリー・ボッシュが、腹違いの兄弟って展開になったけど、それって必要あるのだろうか…。

それにしても、ハラーは二度ほど結婚に失敗しており、別れた妻の一人は検事でハラーとの間の娘を育てていて、もう一人は、現在の仕事のアシスタントで、しかも、もう一人のアシスタント(男性調査員)と恋愛中ってのは、いくら小説とはいえ、世間が狭すぎやしないか?

【2012/01/29 15:00】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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笑えて泣ける名著



山城新吾・著 『おこりんぼ さびしんぼ』 廣済堂文庫

先日読んだ勝新太郎伝が私としては不発だったので、こっちの本をまた読んで、ストレス解消。

これは俳優の故・山城新伍が、若山富三郎、勝新太郎兄弟について、二人の死後に、一冊丸ごと語り尽くした本だ。おこりんぼ、が若山富三郎で、さびしんぼ、が勝新太郎を指す。

山城新吾は、派閥でいったら若山派で、その関係で弟の勝新とも親しかった。兄弟にまつわる極端なエピソードやら、役者論めいた痛快な断定が満載で、読み応えは充分だ。多分の誇張が混じっているだろうが、それも愛嬌だ。先日の本と違って、腹を抱えて笑うことが出来るし、心の底から泣くことも出来る。

勝新や若山富三郎について知ろうと思ったら、この本が格好の入門書になる。これを読むと、彼らがどんな演技をしていたのか、俄然、映画を見たくなる。


著者の山城新伍は、主にテレビで活躍した人だが、「仁義なき戦い」など、映画でもアクの強い脇役をやっている。が、役者だったのか、バラエティの司会者だったのか、正直、代表作が何なのか、よくわからない。Vシネマも含めて、何本か映画を監督しているが、どれも陳腐な駄作ばかりだ。

二、三年前に、町田の老人ホームで亡くなったけど、ちょっと淋しい晩年だった。持病があったのだろうけど、老人ホームに入るには、まだ若かったと思う。

【2012/01/29 14:51】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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伝説を補強はする本



田崎健太・著 『偶然完全  勝新太郎伝』 講談社 1900円+税

サブタイトルにあるように、勝新太郎の伝記だ。勝新太郎は、座頭市を演じた俳優だ。キャリアの後半では、監督もやり、演出もやった。古典芸能?である長唄三味線の家元の次男で、十代で師匠となって、深川の芸者に稽古をつけていた。その後、俳優に転身した。

著者は、サッカー関連の著作が何冊かあるフリーライターで、元週刊ポストの記者だった。ポスト時代の駆け出しの頃に、勝新の人生相談の連載担当だった縁から、今から思うと、晩年の勝新と、直接関わりを持つことが出来た。役者でも芸能人でもないのに、勝新最後の弟子を自称?公称しているらしい。当時の経験と人脈を元に、本書を執筆した。

労作、という感じはするが、正直、勝新の評伝としては決定版ではないし、そんなに中身は濃くない。それに既知の情報で構成されている。新しい切り口もないし、新しい勝新像を提示しているわけでもない。映画やドラマについての言及はあるが、作品論的な要素は少ない。

本書のタイトルになっている「偶然完全」というのは、勝新がよく口にしていた言葉だという。意味は、インプロビゼーションが上手く機能した状態を指す、みたいな感じだ。ほとんどの映画やドラマは、決定稿となった脚本を土台に、段取りがくまれて、セット・ロケ地から、役者、スタッフ、その他すべてのことが予め用意され、その上に役者が演技をして撮影されていく。ところが勝新の場合は、その場でシナリオを決定していく。ギリギリまで粘って、最良と思えるものに、変更していくのだ。即興的なのだ。ジャズや音楽セッションならいざ知らず、撮影現場でそんな方法がうまくいくことは、希に違いない。

映画やドラマの撮影は、大所帯なので、これはとても大変なことだ。それを平気でやるのが勝新だった。当然、話のつじつまは合わなくなっていくし、話だけでなくセットやメイク、服装といった諸々の整合性が崩れやすくなる。それらが上手くいった場合は、とても素晴らしいものが出来上がる、らしい。その状態を指して、偶然完全と言うらしい。偶然を可能な限りコントロールして、完全なものを目指していたのだ。

しかし、それでも勝新は、この方法に拘って、完全なるものを追求した。勝新の場合、この手法を前衛作品ではなく、平気で娯楽作品に持ち込んだところが、人並み外れた表現者だと思う。本当に希有な役者であり、監督だったと思う。が、「偶然完全」をタイトルにしている割には、本書は、勝新の表現に関する掘り下げは少ない。著者は生身の勝新に心酔していても、スクリーンの勝新にはそんなに興味がないようなのだ。

個人的には、スクリーンの中で座頭市を演じている勝新が私は大好きだ。ストーリーに齟齬があっても、勝新の殺陣が見られれば、すべて吹っ飛ぶ、みたいに思ってしまうファンなので、そっち方面の記述を期待していたから、肩すかしを食った感じだ。

にしても、勝新の全体有象に迫るには、字数が足りないし、文体が平板過ぎるし、密度がない。著者は事実を追うだけで、あんまり思考していないように感じた。著者のサッカー本もあまり印象に残っていないが、本書も印象が薄い本だった。残念。

【2012/01/29 14:49】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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振り上げた拳はどこを叩くのか?



秋山豊寛・著 『原発難民日記』 岩波ブックレット 2011 560円+税


著者は、日本人で最初に宇宙に行った秋山さんだ。元TBSの社員でジャーナリストで、後に宇宙に行って、その後、農業を始めていた。場所は、福島第一原発から、30キロから35キロくらいの所だ。原発事故後、秋山さんは、自己避難をした。知人を頼って、長野などを転々とした。気がついたら、生活の基盤を完全に奪われていた。本書はその秋山さんの怒りの書だ。

怒りといっても、元がジャーナリストだから、かなり冷静な文章だ。原発に対して、知識もあるし、事前の準備も普通の人より何倍もやっている。宇宙まで行った人だから、行動力もあるし、知識も判断力も人並み以上に揃っている。どうやら、独り身なので、移動に伴う煩雑さはあったとしても、身軽だ。

本書には、地震発生の日から、九月末までの、日記がまとめてある。日記といっても、いろいろなことが書き足してあるようだ。自然に対する愛情の豊かさ、深さに反比例して、東電やマスコミ、政府に対する批評は辛辣だ。内容を一言であらわすと、人類は原発と共存など出来ない!につきる。

福島県民がみんな秋山さんのように饒舌だったら、と思わずにはいられない。多くの人は、黙って、言われたとおり、避難したり、あるいは被爆しながら、じっと我慢しているのだ。

秋山さんは、京都造形芸術大学の芸術学部教授に就任が決まっている。関西でタケノコ栽培しようと思って、京都が浮上したらしい。もうじきしたら、京都に移住するらしい。宇宙まで行った秋山さんだから、農業を奪われても、転職が可能だ。単身者なので、抵抗なく移住できる。多くの人は、生活の基盤を奪われ、ものすごい量と質の自由を奪われ、そのまま佇んだままだ。

【2012/01/29 14:42】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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晩年を迎えた巨匠の作品に見合わない低レベルの翻訳



ジョン・ル・カレ著 『ミッション・ソング』 光文社文庫


スパイ小説の巨匠、ジョン・ル・カレの翻訳の新しいのが出た。新しいといっても、奥付を見ると、イギリスでは2006年に出版されている。そのあとにも、既に2作、発表されていて、1931年生まれの現在80才ながら、創作ペースは旺盛で、以前と変わっていないことに驚かされる。

今回出たのは、『ミッション・ソング』というタイトルで、光文社文庫からだ。以前、ル・カレの本は、ほとんど早川書房から出ていた。最初単行本で出て、その後、文庫化されるのが常だった。初期は、宇野利泰や菊池光などが翻訳していたが、半分以上は村上博基が訳していた。ル・カレといえば、村上訳、みたいに、既に文体も定まっていた感があった。

ところがル・カレ作品は、2000年辺りから、集英社から出版されるようになった。ピアーズ・プロスナン主演で映画化もされた『パナマの仕立屋』と『シングル&シングル』の2作品だ。翻訳者も早川系と違って、別の人になっていた。しっかりした訳文だったけど、ル・カレ節というか、村上節に慣れていた私には、少し物足りない日本語の文章だった。

その後、『ナイロビの蜂』という作品が、いきなり集英社文庫で出版された。この作品も映画化されたが、小説は、かなりいまいちだった。先の2作と同じく集英社からの出版だったが、文庫だったせいなのか、翻訳者がまた違う人になっていた。一応、最後まで読むことが出来たけど、翻訳がひどいと感じさせる、下手な日本語になっていた。この作品以降、ル・カレの新作は、単行本にはならず、いきなり文庫で出版されるようになった。それも、集英社文庫は、『ナイロビの蜂』のみで、次からは光文社文庫から出るようになったのだ。

光文社文庫第一弾の『サラマンダーは炎の中に』という作品は、『ナイロビ』と同じ人が翻訳を行っていたが、正直、まともな文章ですらなかった気がする。上下二巻本の小説だったが、私は上巻を100頁以上、読めなかった気がする。結局、私は読むのを諦めたのだった。

ものすごくストレスを感じる翻訳文だった。訳しきれていない、曖昧な日本語が多過ぎで、意味不明の箇所が随所にあったと記憶している。1頁に「?」と感じる箇所がいくつもあるので、読み進むのに相当なストレスを感じた。特に「?」だったのは、意味は一応とれるのだが、日本語表現として、もっと適切でスムーズな言い回しが他にあるのに、と、素人の私にも思えてしまう表記が満載だったことだ。

もしかしたら翻訳者の頭の中では100%理解出来ているのかも知れないが、それを日本語で表現するには、日本語が下手糞過ぎる翻訳なのだ。とくに、なにごとかを説明する部分がひどかった。

今回の『ミッション・ソング』も前回と同じ訳者だ。また途中で投げ出してしまうかもしれない、という哀しい気持ちを抱えながら、読み進めている最中なのだが、それにしてもストレスを感じまくっている。調べてみたら、この翻訳者、ミステリーを中心に既に数十冊の翻訳著書がある。そのすべてがこんな調子なのかと思うと、ちょっと寒々とした気持ちになった。金返せどころではない…。



と、文句をたらたらと書いたが、結局、斜め読みして、最後まで読んでみた。読んだら読んだで、それなりに面白かった。感想文なので、ネタバレもある。読もうと思っている方にはすいません。

主人公は、アイルランド人宣教師とコンゴの女性との間に生まれたハーフだ。10才くらいまでコンゴの修道院に引き取られて育ち、その間に、アフリカ各地の言語をマスターする。その後、英国本国に引き取られ、長じて、英語とアフリカ少数民族の言語をいくつも介する優秀な通訳となる。雑誌記者の女性と結婚もし、前途は開けていたが、時々、極秘で英国情報部でも通訳の仕事をしていた。それまでの主人公の意識は、従順なそして愛国的な英国市民だ。

物語は、情報部の仕事が急遽舞い込んだとことから始まる。今回のミッションは、ヨーロッパのどこかの島で行われる会議の通訳だ。会議の出席者は、コンゴの有力何人かと、英国の有力者何人かだ。会議の内容は、コンゴでクーデターを起こして、新しい政権を樹立する。その結果、コンゴの内乱は収まり、民主的な政権が出来上がる。その新政権を、英国が全面的に支持をする?。その見返りに、コンゴの地下資源を、英国企業が全面的に採掘する、というものだ。

主人公は、この会議中に、なぜか、コンゴ人としてのアイデンティティを芽生えさせ、コンゴ愛の人になる。その結果、会議終了後に、クーデター計画を阻止しようと、英国情報局を敵に回して、暴走を始める、と、いう話だ。

本書の半分以上が、会議における会話文だ。アフリカには、独立したものの政情が不安定な国が多い。国民国家というよりは、民族としてのアイデンティティが強く、民族間での闘争が激しく、今でも虐殺が横行している。その結果、政情は不安定で、政権に統治能力はなく、上層部は腐敗し、民衆は飢餓と貧困にあえぐ、という悲惨な状況が常態化している。作者はそういったアフリカとアフリカを取り巻く先進国に一石を投じたいと思って、この小説を書いたのだろう。

会議の会話に中には、現代のアフリカ諸国が抱えている問題が、著者であるル・カレの広い見識と、深い洞察によって、あぶり出されている、と思うのだが、いかんせん、添削したくなるような文章の連続なので、なんの面白味もない。

会議後、走り始める主人公は、これまでのル・カレ作品の主人公にしては、妙に直情的で、行動も短絡的過ぎる。これまでのル・カレ作品というと、プロの情報合戦が地味に、だからこそリアルに描かれていたものだが、今回の主人公は、まるで素人で、思いつきで行動に走るのだ。2000年代に入ってからのル・カレは変わった、と言われるが、本当に印象が違う。

翻訳文以外にも、正直、主人公も含めて、どの登場人物にも感情移入が出来ないので、読むのに苦労した。展開だけ追う、とか、どのように物語のけりをつけるのか、といった可成りすれっからした興味で、読み続けた。

斜め読みだから、途中、わからない所も出てくる。そこで戻って、今度は丹念に読んでみるのだが、不明を明らかにすることが出来ないことがしばしばあった。訳文の曖昧さが原因だ。この翻訳者は、ミステリーを中心に、既に何十冊もの本を訳している。 それらがすべて、こんな調子だと思うと、絶望的になってくる。

過去のル・カレ作品は、まるで一月間くらい缶詰になって合宿したみたいな濃い密度を誇っていたが、『ミッション・ソング』は、ながらで見る90分ドラマみたいな密度だった。この先のル・カレ作品もこんな感じなのだろうか。それもレベルの低い翻訳でしか出版されないとすると、大きな楽しみを失った感じがして、非常に哀しい。淋しい。

【2012/01/14 23:38】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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映画 『悪人』 テレビ観賞感想文





特に『悪人』でもない人々が出てくる映画


最近のテレビには、売れない芸人の妻や両親など、家族が頻繁に出てくる。それらの奥さんなどは、夫が不細工な芸人なのに、結構、美人だったりする。その美人妻が、子育ても一手に引き受けながら、うだつの上がらない夫を、一生懸命支えていたりする。

さらにその美人妻は、自分の旦那のことを、かっこいいとか面白いとか思っていて、疑わないのだ。世間の評価と可成りズレた高評価を自分の夫に与えていることが多い。

そうでなくてはやっていけないのだろうし、惚れるとはそういうことなのかも知れない。が、テレビを見ているこっちには、報われない献身をしているとしか思えないケースも多い。が、本人は、あるいは彼ら夫婦は、それなりに充実して、そして幸せなのかもしれない。

そんな美人妻は、大概、頭はそんなによくないことが見て取れるのだが、妻自体は、一途でかわいらしくて、こういう嫁さんが自分にもいればなあ、と一般の男達に思わせる魅力を備えていたりする。先日、テレビでやっていた映画『悪人』を見ながら、私はそのようなことを思っていた。


うだつの上がらない芸人が、妻夫木聡演じる殺人者で、芸人を支える妻が、妻夫木と逃避行をする深津絵里だ。深津絵里は、そういう尽くす、支える女を演じていて、とても頼もしく、そしてきれいだった。

妻夫木聡も思考能力のないバカ男をちゃんと演じていて、好感が持てた。脇を固める俳優達も、妻夫木の祖母役の樹木希林、殺された娘の父親役の柄本明等、みんな感情を湛えた演技で素晴らしかった。

特に、他人を見下したり損得勘定でしか人間関係を築けない軽薄でわがままなバカ女を演じた満島ひかりは、どんな役でもやりきることのできる幅の広さを感じさせて、これはもうファンクラブに入るしかないかな、と思ったりしてしまった。


この映画は、思慮も我慢強さも足りない若い男が、携帯電話の出会い系サイトで知り合った、他人を見下すことを原動力にしたバカ女を衝動的に殺してしまい、犯行隠す知恵もないまま、またしても出会い系サイトで知り合った別の女と逃避行をして、最後に捕まる、という映画だ。

テレビだから、放映時間枠に合わせて、編集・短縮してあるのだろうから、本当はDVDででも見ないとちゃんとしたことを言ってはいけないのだろうが、なんでそうなるのか、わからない箇所がかなりあった。

主人公達は、出会い系サイトを利用しながら、本気で人と出会いたかった、なんて台詞を言っているけど、そういう人は真面目な、友達募集やお見合いのサイトを利用すればいいのだし、この映画で描かれているような、セックス目的のサイトを利用しながら、本気でなんて言われても白けるだけだろう。

主人公はビンボ人のようなのだが、高そうな車に乗っており、長距離走行もものともしない。ガソリン代やホテル代はどうやって工面しているのか、とか、重箱の隅と言われればそれまでだが、そういう細かいところが気になった。

また、なんでそうなるのかわからないが、映画の後半、二人は岬の灯台に籠城してしまう。地に足のついた逃亡を放棄してしまうのだ。地方都市の鬱屈した空気をリアルに描いていた筈のこの映画は、一変して、半端なファンタジーみたいになってしまう。それに伴って、物語の展開も、失速してしまう。

結果的に、映画の後半は、つまらないイメージシーンのようなショットばかり見せられることになる。鍵がかかっている筈の灯台にどうやって忍び込んだのか、逃避行中の生活費はどうしているのか、等、やはり細かいところが気になった。この映画の逃避行のノウハウは、まったく実用的でなかった。…が、そんな観点から映画を見る人はいないか…。

警官隊に突入された時、妻夫木は深津絵里の首を絞めて、あたかも殺そうとしていたのだが、それが意味するところも不明だ。本当に殺すのだったら、他に手っ取り早く確実な方法があったろうし、では、逮捕後の深津絵里の身を案じての行動と解釈することも出来るのだが、それも半端だ。自分が一方的な加害者であることを示すことで、深津絵里の共犯性を帳消しにしようと目論んだのかもしれない。が、逮捕後の警察の事情聴取は、そんな簡単に乗り切れるものだとは思えない。

この映画が素晴らしいとしたら、それはひとえに俳優陣の演技力によるものだと思う。俳優達の発揮した力は、予め了解可能なパターンの組み合わせのような通俗的なシナリオの、齟齬や杜撰さを軽々とカヴァーして、その上で、観客に感動の涙をそそるくらい素晴らしかった。

タイトルの『悪人』もまた、深い意味を持っているわけではない。人間の持つ悪人性を掘り下げるわけでもなく、この映画に描かれた悪は、誰でも心の中に持っている弱さや小狡さのような悪であり、結果的に殺人になってしまったが、ボタンの掛け違えのようなきっかけでつい犯してしまった衝動的な犯罪であり、その意味では非常にお手軽なもので、悪人と大上段に言えるかといったら、そこまでではない。

海外で映画賞を獲ったりした映画だが、個人的には、あまり評価できる気がしなかった。でも、作品としては駄目でも、演技は世界に通用するのかもしれない。

【2011/12/04 14:14】 邦画感想文 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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私小説文体による社史




和田芳恵・著 『筑摩書房の三十年 1940-1970 』
筑摩選書

筑摩書房は、会社が出来て70年経ったのだそうだ。そこで、社史を編纂した。以前、30周年を迎えた1970年に、『筑摩書房の三十年 1940-1970 』という本を作り、今回は、それに加えて、『筑摩書房 それからの四十年 1970-2010 』という本を作り、二冊合わせて、書店売りの本として刊行した。新しい方は、ライターの永江朗が著し、以前の、和田芳恵が書いたものは復刻した。旧著を復刻するに当たっては、巻末にあった出版目録などは省略した。

筑摩書房には特に興味のない私が、『筑摩書房の三十年』を読んだのは、著者である和田芳恵のファンだったからだ。芳恵という名前のくせに、この人は男だ。和田芳恵は、一応、直木賞作家だったけれど、基本は出版社の文芸部門の編集者で、大衆小説というジャンルを確立した人、とものの本では紹介されたりしている。が、私はその辺りのことは、よく知らない。 また、樋口一葉の研究家で、一葉関連の本を何冊も出している。私は一葉にも興味がないから、それらの本は、読んでもちっとも面白くなかった。

晩年は作家として、ほんの少し流行った時期がある。ちょうど私が中学から高校に上がる頃で、短編小説の評価がやけに高かった記憶があるが、私が和田芳恵という作家の存在を知り、読み始めた途端に、病気で亡くなってしまった。

最初に読んだのは、『接ぎ木の台』という小説集だ。次に読んだのは『雀色の空』という本だったのだけど、その間に和田芳恵は死んでいる。だから『雀色の空』は、死後の刊行だ。著者が死んでしまったから、私は妙に盛り上がって、和田芳恵の本を探し回ったのだった。

その当時、私は思春期真っ最中だったから、和田芳恵のエッチな小説は、刺激的で、それがために読んでいたのかもしれない、と今、和田芳恵の作品を思い出しながら思った。というのも、和田芳恵の小説は、当時も情痴小説と呼ばれていたように、オヤジと若い女性との不倫という設定がほとんどの、しかも私小説っぽいものばかりだった。長編の『暗い流れ』も、生まれてから青年になるまでの性体験をねちねちと綴った自伝小説だったと思う。

和田芳恵が生涯で書いた小説は、本にして、数冊で収まるのではないか。それくらい作品量は少ない。特に晩年の短編は、それぞれが原稿用紙で二十枚くらいのものばかりの、それこそ体力のないがために、省略の多い、思わせぶりな効果を狙った文体の小説だった。その、文体の体力の無さが、妙な魅力となっていて、そこに私ははまったのだと思う。


『筑摩書房の三十年』は、筑摩書房の社史ということになっている。でも、あまり社史っぽくない。社史というと、大概は編年体で、その年々の出来事を追い、関係者の証言を集め、同時に売り上げや損失といった数字等の客観的なデータを網羅して、製造(商業)活動を詳細に述べたり、資本金がどうたら、その年の決算はどうか、その年のベストセラーは何だったのか、それらの変遷はどうなったのか、といったことが中心になっているものだが、この本は、人物描写が過剰で、社史に不可欠の客観性に欠けている。それこそ、小説筑摩書房を読んでいるような気にさせる。

作家が書いたからなのだろうか、筑摩書房を作った人たち、創生期のメンバー、関係者達が、人物像やら人柄にこまかく言及されていて、それこそ実名小説のように展開している。本書の末になると、なぜか和田芳恵本人が第三者のように登場してくるのも、小説みたいで面白い。

では、小説として面白いかというと、前半はまるでつまらない。新しい出版社として設立されて動き出した筑摩書房が、どのような生産活動や商売をしているのか、ちゃんと利益を上げる仕組みを持っているのか、読者にはさっぱりわからない書き方になっているのだ。

元来、出版社というものがどういうシステムで動いているのか、読者が知っていることを前提に書かれているにしても、和田芳恵の文体は、ほとんど私小説のような書き方しかしていないのだ。なんだか全体象がつかめないまま読み進めると、後半になって、社長の古田が借金を苦に博打のような企画を打ったりするあたりから、読み物としておもしろみが加速してくる。


筑摩書房は、長野県の旧制松本高校の同級生同士だった古田晁と臼井吉見の二人が作った出版社だった。古田晁は、お金持ちのボンボンで、出版文化に理想を持って業界に進出した。その際、同級生で文学好きだった臼井吉見を誘ったのだ。

臼井吉見が、筑摩書房の創立メンバーだったとは本書を読むまで全く知らなかった。私が知っている臼井吉見は、評論家、小説家としての活動だ。代表作に『安曇野』という、長編小説があったが、安曇野出身の実業家や芸術家が絡んで、明治から昭和にかけての長いスパンを描いた、ジャンルにすると、たぶん、大河小説にでもなりそうな長い作品だった。読みかけたことがあるが、読み通したことはない。

リアルタイムで読んだのは、『事故のてんまつ』という、川端康成の自殺の裏話を書いた実名小説だ。たしか、若いお手伝いさんに振られたのが、自殺の引き金になったとか書いてあり、また川端の出自が被差別部落だったとかの推測的記述もあって、遺族が名誉毀損の裁判を起こして話題になった。この本そのものは、どうでもいいものだった記憶がある。臼井吉見に関しては、作家というより、文壇業界の人、といった印象がある。

さて、和田芳恵の書いた筑摩書房の社史は、社長である古田晁と、副社長の臼井吉見の二人を軸にした人間ドラマとして描かれている。古田が企画と営業を担当し、臼井が編集を担当した、みたいな役割分担だ。

会社としての成長物語として読むには、著者の視座が人物エピソードに偏り過ぎているし、出版社の全体像も見えにくい。後半、金策エピソードで盛り上がるのだが、和田の曖昧な筆致では、素人経営者が高利貸しに手を出したのが間違いだったのか、素人に大金を惜しみなく?貸し続けた金貸しが偉かったのか、どちらにも読めるように書かれてあって、読んでいて、ストレスが溜まる。

筑摩書房が作られた当時、新興の出版社に対する金融機関の格付けは、甲乙丙丁の「丙」だった。したがって、筑摩書房は、金利の高い高利貸しを利用するしかなく、それがために、借金の元金はいつまで経っても減らず、毎月、ふくれあがった利子を払うのも滞る始末だった、とあった。

この辺りのことは、世間知らずの素人だった経営陣が馬鹿だったので、法外な高利貸しに手を出してしまった、みたいに記述している一行もあるし、筑摩書房にお金を貸しているM氏という高利貸しのことを悪徳金融業者風に書いている一行もある。ところが、このM氏のことを、返済の保証のない筑摩書房を信じて、お金を貸し続けることで、縁の下から筑摩書房を支えた、みたいに評価している一行もあるから、読んでいて、なかなか混乱する。両義的な表現というよりは、著者の立場が曖昧なために、価値判断を曖昧にしている、といった印象を受ける。

そもそも私小説寄りの文体を持つ和田芳恵に、どうして社史などを通書する仕事が回ってきたのか。知己だったから、知り合いの編集者同士、あるいは作家と出版社という関係もあったのだろうが、社史というのは、半分、おおやけの事実を扱うわけだから、記述するにも、記述者の「私」という人称は取っ払う必要がある。

和田芳恵も本書を書く上では、私という一人称は省いている。ところが、三人称できちんと書いているかというと、そうでもないのだ。確かに、私という一人称は見あたらない。しかし、従来の和田芳恵の文章から、私を省略しただけのような文章で本書は書かれている。私小説文体から、語り手である私を抜いたところで、三人称の記述になる筈はない。私が欠けたせいで、主語が消え、主体の曖昧な述語ばかりが並んでしまっただけのような気がする。本書を読んでいて感じるストレスは、みんなそこから発生していると思う。

つづく…

【2011/08/19 10:50】 読書日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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偉大なる金太郎飴アルバム



矢沢永吉 『TWIST』 2010


1. サイコーな Rock You!
2. Shake Me
3. 危険(あぶな)い女
4. 闇を抜けて
5. 古いカレンダー
6. long good-bye
7. ずっとあの時のまま・・・
8. ワニ革のスーツ
9. 見つめ合うだけで
10. HEY YOU・・・
11. 「マブ」


前作『ROCK'N'ROLL』から一年も経ずにリリースされた新譜。って、去年の6月には出ていたのだが、今までスルーしていた…。ジャケ写は、右半分に矢沢のバストショット。左側には、レザーやパンツファッションに身を包んで躍動的なポーズをとった女性モデルが3体、いわゆるロックっぽい女のイメージなのか…。そして正方形の下半分にアルバムタイトルのロゴ。
全体の印象として、50年代のロックンロールのパロディのような、あるいはお菓子のパッケージのような色遣いと今時かなりバタ臭い感じでまとめてある。もはや時代を超越しちゃっている。

収録曲に新しさはない。曲調、歌詞ともに、いつものまんまだ。拡大再生産というよりは、縮小再生産。小粒の曲ばかりだ。前作の金太郎飴路線に磨きがかかったと言うべきか。ほめるとしたら、こんな表現になるだろうか。新人には作れない、偉大なワンパターン・アーチストの面目躍如といったアルバムだ。…何か書こうと思っても、前回の『ROCK'N'ROL』と同じになってしまう。困った…。


【2011/02/11 16:12】 CD評 矢沢 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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